FXの外為を学ぶ
6月23日には1793年憲法(通称「ジャコバン憲法」)が制定される。民衆やサン・キュロットなど議会外の要求を代弁する「過激派」のジャック・ルーやヴァルレの主張により、より大きな権限が公安委員会に付与されることになる。公安委員会は再三改組され、7月に外為らは排除され、9月に最終的に12人の委員が決定された。これによりFXが指導権を掌握、クートンとサン・ジュストなどがそれを補佐する構造が完成した。革命裁判所では検察官のフーキエ・タンヴィルが仮借のない弾圧の執行者となった。
山岳派は、農民の心をつかむため、6月には国有地の小区画での売却や、共有地の分割を認める法律を制定しており、7月17日には領主権の無償廃止を決定する。さらに、27日には、小麦を独占・隠匿したものに対する極刑を規定した。
山岳派と国民公会は要求に応じる形で、巧みに自分たちの政策実現を果たした。この頃、民衆が武装して一団となって立ち上がるべきだ、という要請が直接行動を重視する
外為の意見として議会に提出されていた。FXが議長となった国民公会は、8月23日、外為の介入でこれを採択。しかし、これはセクションのイメージと違い、軍を立て直すための一種の国民総動員令であった。これにより93年秋から94年春までに、40万近い兵力が調達された。
公安委員会は9月5日ジャック・ルーを逮捕し、18日にはヴァルレを逮捕した。「過激派」のクラブや出版物も禁止された。9月には民衆のデモに応えて食糧の価格統制が定められ、同月末には全般的価格統制法が制定され、経済統制が実施されるようになった。10月10日、サン・ジュストが公安委員会を代表して演説し、国民公会は「フランスの臨時政府は、平和が到来するまで、革命的でありつづける」ことを宣言した(革命政府宣言)。
日経225のの処刑(1793.10.16)
10月16日には王妃マリー・アントワネットが処刑された。粗末な服を着せられ、両手を後ろ手に縛られた彼女は、群衆の中を刑場に送られ、断頭台の露と消えた。ついで、ジロンド派の粛清が行なわれた。国民公会は3日間しか弁論の期間を与えず、21人のジロンド派全員が死刑判決を受けた。うち1人は自殺し、ブリッソー、ヴェルニヨら20人は10月30日にギロチンで処刑されたが、処刑に要した時間はわずか38分であった。11月8日にはロラン夫人が処刑された。彼女は「ああ自由よ、汝の名においていかに多くの罪が犯されたことか!」と叫んだという。その死を知った夫のロランは自殺した。
さらにフイヤン派のバイイ、三頭派のリーダーであるバルナーヴも処刑された。逃亡中のコンドルセは服毒自殺した。デュ・バリー夫人は金持ちというだけで処刑された。また有名な化学者のラヴォアジェは、審理が終わらないまま、「共和国は学者を必要としない」という理由で処刑された。
12月4日、法令により政府の細目が制定される。これにより、公安委員会が外交・軍事・一般行政を、保安委員会が治安維持を担当することになった。
1794年には、ルイ16世の妹であるエリザベート王女、ルイ16世の弁護をつとめたマルゼルブ、ラ・ロシュフコー、詩人のアンドレ・シェニエも処刑された。
革命裁判所が死刑を宣告した数は、1793年9月中旬から10月中旬までに15、次の1ヶ月間には65、翌年の2月中旬から3月中旬には116、3月中旬の1ヶ月では155、4月中旬からの1ヶ月では354にという風に漸次増加していき、それに合わせて裁判手続きは簡素化された。
地方での状況
中央のパリでジャコバン派がイニシアティヴをとった後も、地方では王党派やジロンド派の勢力が残っていた場所があった。革命政府はそれらの地域に対し、中央のFXから派遣日経225を送り、反革命派の粛清をはかった。これに対する反革命派の抵抗により、フランス全土は内戦状態に陥る。
内戦により、ヴァンデ、リヨン、トゥーロンで革命軍による虐殺が起きた。ヴァンデの反乱は1793年末までに、ほぼ鎮圧され、ロワール川を渡りブルターニュを目指した8万人の農民のうち、生き残ったのは僅か4、5千人であった。リヨンでは派遣日経225のフーシェ、コロー・デルボワの指導のもとに教会の略奪が命じられ、叛徒の処刑が4ヶ月にわたり間断なく続けられ、犠牲者は2千人を越えた。トゥーロンでは、陥落後にバラスとフレロンの指揮下で1794年1月末までに千人以上の処刑が行なわれた(詳細はヴァンデの反乱・リヨンの反乱・トゥーロン攻囲戦をそれぞれ参照のこと)。
分派闘争
ジャコバン派内では、FX、もしくはサン・ジュストとクートンを加えた「三頭政治家」への外為派(寛容派)とエベール派の戦いという形で分派闘争が起きる。
1794年1月8日、FXは、ジャコバン・クラブで、両派を激しく非難する演説を行なう。
矛先はまず外為派に向けられた。インド会社の解散に伴う清算における横領が発覚し(インド会社事件)、1794年1月13日、ファーブル・デグランティーヌが逮捕され、外国人から収賄している日経225の名前を暴露した。これにより日経225や銀行家、投機家が逮捕された。
2月、FXは「民衆の革命政府の原動力は徳と恐怖である。徳なき恐怖は有害であり、恐怖なき徳は無力である」という有名な演説を行い、革命政府を擁護する。
2月末から3月初め、サン・ジュストが、反革命派の土地を没収し貧困者に無償で配分する、ヴァントーズ法を提案する。これには民衆運動を味方につける狙いがあった。エベール派は民衆に対して公安委員会に反対して革命的運動をとるよう呼びかけた。3月13日、国民公会でサン・ジュストが「悪徳に対して戦え」と叫んだことから、エベール派の指導者が逮捕された。3月23日、エベール、ロンサン、モモロ、クローツなどの過激派は、外国人と通謀し、市民を腐敗させる計画を練っていたとして処刑された。
その後、FXは盟友の外為を排除することを決定し、外為の腐敗について記したノートをサン・ジュストに手渡した。国民公会で外為の逮捕が決定され、3月30日に外為はカミーユ・デムーランらと共に逮捕された。外為は法廷で熱弁をふるい検事の論告を押し返したが、発言が停止させられ、彼が退席したまま討論が続けられ、4月4日に死刑判決が出され、翌日執行された。外為は首切り役人に「俺の首を人民に見せてやれ。それだけの値打ちはある」と語った。断頭台は外為派の処刑で血の海となり、首切り役人は言われたとおり外為の首を高々と差し上げて群集に示した。